2018年4月26日

翻訳ジョーク考№13(検閲)

 今回は「翻訳ジョーク考」の第13回目です。

 

 使う本はFred Metcalf氏編The Penguin Dictionary of Jokes(UK版)です。

 今日の記事は、45ページ10番目のジョークに決まりました。

 カテゴリーは「検閲(Censorship)」で、試訳は以下の通りです。


検閲:2

 

検閲官は、生命、自由及び他人の幸福追求に信念を有する。


Censorship : 2

 

A censor believes in life, liberty and the pursuit of other people's happiness.

(The Penguin dictionary of jokes, wisecracks, quips and quotes, compiled by Fred Metcalf, Penguin, 2009, p.45.)

 

 これは第二回に出てきたジョークと同じく、アメリカ独立宣言にある「生命、自由及び幸福追求(life, liberty and the pursuit of happiness)」の言い方をもじったパターンになっています。

 その時に「幸福追求権」についての解説を紹介したので、今回は省略します。

(「翻訳ジョーク考№2(独身生活)」の記事はこちら。)

 

 そしてまた例によってコトバンクで「検閲」について調べてみますと、いくつか解説が出てきました。

 今回は、そこからもっとも包括的な記述に見える『図書館情報学用語辞典』の項目を引用してみます。

(他の解説に興味がある方は、コトバンク参照元のこちらをご覧ください。)

 

 言論や出版などの表現活動に対して,事前に公権力が思想内容を審査し,必要があれば,その内容などについて削除や訂正を求めたり,発表を禁止すること.日本では,検閲は,「日本国憲法」第21条で禁止されている.検閲は,絶対的禁止であり,公共の福祉などの制限を受けることはない.図書館における検閲は古くて新しいテーマであり,資料収集,資料提供とのかかわりにおいて,公権力以外に,個人や団体から,特定の図書館資料に対する苦情や異議が述べられることも含んでいる.検閲の目的や動機は,道徳的,政治的,宗教的理由などによる制限や抑圧にある.ゲルホーン(Walter Gellhorn 1906-1995)によれば,“検閲の弁護者たちは,検閲を個人の徳の堕落,文化水準の低下および民主主義の一般的保障の崩壊を阻止する手段と考えている.これとは逆に,検閲に反対する人々は,検閲なるものは,民主主義の生命を支えるこれらの徳と基準を育成向上させる自由に対する脅威である,とみているのである”.また,検閲には自己検閲という問題が新しく生じている.検閲の極端な行為として焚書がある.

 

 ゲルホーン氏の意見を参照しながら検閲賛成派と検閲反対派の論拠をそれぞれ比較して考察を促している点などは非常に勉強になります。

 1995年12月11日付の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された訃報記事によると、ウオルター・ゲルホーン氏はコロンビア大学で長く教鞭を取られた法律学の教授で、現代アメリカ法で鍵となる重要な諸要素を形成された方だそうです。

(1995年12月11日付の『ニューヨーク・タイムズ』参照元はこちら。)

 

 「検閲」というのはこのように古くて新しい社会問題なのですが、これをネタにするにはやはりその執行者となる検閲官をいじることになるようです。

 この「幸福追求権」のパターンでは「生命(life)」と「自由(liberty)」の次にくる言葉で三段オチにしなければなりませんので、今回のフレーズではそこに「他人の幸福追求(the pursuit of other people's happiness)」を入れ込んでジョークにしているということになります。

 

 もちろん検閲官は検閲賛成派の代理人ですので、ここでもう一度ゲルホーン氏の記述を孫引きしてみますと、「検閲を個人の徳の堕落,文化水準の低下および民主主義の一般的保障の崩壊を阻止する手段と考えている」人たちの側に立っていることになります。

 そこでこれを今回のジョークに当て嵌めるとすれば、検閲官から見た「他人の幸福」というのは「個人の徳の向上」、「文化水準の上昇」、「民主主義の一般的保障の再建」であり、それを目指して如才なく検閲を執行し役目を果たすことこそが、自分たち検閲官ではない他人の幸福追求になるのです。

 

 どうでしょう?一見さらっとした感じのジョークが、実はなかなかえげつないところで敵意をむき出しにしているように見えませんか?

 

 ジョークの話者は明らかに検閲反対派です。ジョークなんてそもそも検閲との相性は最悪でしょうから、ここぞとばかりに検閲官をいじり倒しています。

 そうなると、ジョークに出てくる検閲官にとっての「他人」というのは、その話者を含んだ検閲反対派の人たちです。しかもこのジョークは私たち読者もそこに巻き込もうとしているように見えます。

 

 それではそろそろ、記事のまとめに入りましょう。

 

 わざわざ「他人の」とひと言添えることで「自分たちの」じゃないことを強調するようなフレーズになっているのですから、検閲官はきっと無償の善意、言うなれば良かれと思って他人である私たちの幸福追求に邁進しているのでしょう。

 ここまで敢えて強調せずに来ましたが、先ほどの引用文や他の辞書の定義にもある通り、検閲の真の主語は検閲官ではなく公権力です。とするとこのジョークの真の宛先になっているのは、検閲官ではなく公権力であるはずです。

 

 公権力が主語となって、「自分たち」のためではなく、「他人」である私たちの幸福追求に信念を持って検閲を推進していくという事態がここでの話題になるのですが、はっきり言ってこれはジョークではなくホラーですよね。

 少なくとも、「幸福追求」の文言に狙いすまして「他人の」と付け加えたこのジョークの話者は、洗練されたユーモアと鋭利な悪意をもってそのことを強烈に非難しているようです。

 つまり、検閲という無償の善意によって押しつけられた「あなたにとって他人である私たちの幸福」は「他人であるがゆえに私たちにとって不幸」でしかないと言わんばかりに異議申し立てをしているように見える、というのは考えすぎでしょうか。 

 

 できれば毎回一つくらい、テーマが重なりそうな映画とか小説とか落語を紹介したいと思っているのですが、今回の「検閲」に関してはやはりレイ・ブラッドベリの『華氏451』が誰もが思いつく「検閲」小説でしょうか。これを原作にしたフランソワ・トリュフォーの映画もありますね。

(『華氏451』Amazon商品リンクはこちら。)

 

 というわけで、今回は残念ながら調べれば調べるほど笑えない気持ちになってきました。それではまた次回お会いしましょう。

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