2017年7月23日

雑記№18:誰もが愛した「ホラーの帝王」のこと

 去る7月17日に、「ゾンビ映画の巨匠」として知られるジョージ・A・ロメロ監督の訃報が伝えられました。

 

http://www.afpbb.com/articles/-/3135965


http://eiga.com/news/20170717/7/


https://news.walkerplus.com/article/115413/


 これらの記事によると、享年77歳。肺がんを患っておられたということで、ジョン・フォード監督作品『静かなる男』のサウンドトラックを聴きながら、ご家族に見守られて永眠なされたということです。真ん中の映画.comの記事には、ロメロ監督の特に有名な作品がリストアップされております。

 

 またAFP通信の記事の末尾にはイーライ・ロス監督のコメントが紹介されています。

ホラー映画監督のイーライ・ロス(Eli Roth)氏は『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』でのジョーンズの起用に言及し、「50年前に人種差別に立ち向かった」と高く評価。また、ゾンビがかみついてウイルスをうつすことや頭を撃たれて倒されることなど、今日まで続くゾンビ映画の約束事を「すべて」発明したとたたえた。

 このようにしてロス氏はロメロ監督が1968年に黒人俳優であるデュアン・ジョーンズをヒーローに抜擢したこと、それ以降のゾンビ映画のセオリーをこの作品で完璧に打ち立てたことを称賛しています。

 

 

 よく知られていることとして、「ゾンビ・トリロジー」となる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)、『ゾンビ』(1978)、『死霊のえじき』(1985)は全て、主演というわけではないにせよ黒人のヒーローがゾンビと戦う物語によって構成されています。

  そしてまるで答え合わせでもするかのように、『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)では、黒人のヒーローが人間の側ではなく、人間たちと戦うゾンビの側の首領(?)として登場しました。

 

 おそらくどなたかが他所で詳しく書いていることだと思いますが、その後の『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(2007)、『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(2009)では、監督の視点の取り方が明白に人間からゾンビの側へと移行しており、前期トリロジーで提示したゾンビとヒューマニズムというテーマの最前線で、見方を変えながら誰よりももっとも奥深くまで斬り込んで行っていたように思われます。

 特にこの最後の二作は、そのような思想傾向がかなり色濃く出ており、「人間の肉を喰らう生ける屍だからといって、元人間の死体をなんの良心の呵責もなく凌辱しても良いのか」という問題提起が前面に押し出ています。

 

 

 人によっては、ゾンビ映画にホラーやコメディといったジャンル映画のイメージだけをお持ちの方もいるかもしれませんが、『ダイアリー~』以降よりいっそう顕著になった方向性において、ロメロ作品は人間の極限を描いたシリアス・ドラマであり、ジャンルを超越したものとしてとりわけ異彩を放っています。

 このようにして、「人間でないものから人間の定義を考える」という一種の哲学的な思考実験のようにも見えるロメロ作品なのですが、こちらも新世代のゾンビ・トリロジーになるという噂があっただけに、遺作となった『サバイバル~』に続く三作目が幻になってしまったかもしれないということについてはもはや絶句するしかありません。

 

 このブログでは以前、『アイアムアヒーロー』の記事を書いたときにゾンビ映画の系譜について少しだけ紹介をしたことがありましたが、そこでもやはり、ロメロ監督の偉大な足跡を抜きにしては何も語ることができないと再確認することになっておりました。

(記事はこちら。https://horrornomikata.blogspot.jp/2016/05/21.html

 

* * *

 

 ところで、『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』が公開された2007年当時、私は仙台に住んでおりましたが、なぜか仙台市内でこの作品の上映がなく、私は山形の駅近くにある映画館まで観に行きました。

 それはある冬の日に、「POVで撮ったロメロの新作ゾンビ映画を観る」という使命感に駆られていたたまれずに高速バスに飛び乗って山形駅前に行くというものですが、いざ着いてみると、仙台とは打って変わって道路に雪が降り積もっていて驚いた記憶があります。

 

 おそらくソラリス(映画館の名前です)でもっとも小さいキャパの部屋だったはずですが、スクリーンが近く観客もまばらなのですが、新シリーズを予感させるロメロ作品は本当に本当に強烈でした。

 

 ここではネタバレはしませんが、一つもゾンビ映画を見たことのない方にはまずこの一本をオススメします。その後に、『サバイバル~』に行ってから初期三部作に戻るというのが、入って行きやすいのではないかと私は思います。

 もちろん最初から『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でもいいのですが、もはや伝説となったエポックメイキングな作品ですので、やや敷居が高いような気がして、『ダイアリー~』の方が入りやすいのではないかというのが個人的な実感です。

 

 映画の前か後に、せっかく山形に来たのだからと、雪の中を鴨南蛮を食べにそば屋まで行ったのも、今となってはたいへん懐かしい思い出です。

 

 

 今も眼裏に焼き付いて離れることのない『ダイアリー~』のラストシーンは、「ゾンビとは、ホラー映画とは何なのか」を考える上で決して疎かにしてはいけない問いかけを含むため、現在まで私の思考の要石になっていると振り返ってみてわかります。

 

 確か『サバイバル~』上映時だと思いますが、どこかで読んだインタビューで、ロメロ監督は「今では人間よりもゾンビの方に愛着が湧く」と言っていました。

 もしかしたら彼の作風が、ユーモラスでシリアスな「告発」から、ドライでシニカルな「絶望」へと変わってしまったように見えるとしたら、「ゾンビの方がまだまし」に思える世界について、私たちはこれから先どのように考えていけば良いのでしょうか?

 

 ロメロ監督の出した宿題は、時流に即した新しいゾンビ映画を創り出すための契機として永遠に着想を与え続けるだけでなく、その都度新しく人間らしさを考え出すための契機として私たちの前で永遠に解釈を待ち続けることになるはずですが、答え合わせをするように次回作を期待することのできない喪失感についてだけは、実際に表現のしようがありません。

 

 

 私は世界中に数多くいるファンの一人に過ぎませんが、ジョージ・A・ロメロ監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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