2017年2月8日

「天使的な、あまりに天使的な」№7

 まずは「ホラーのミ・カ・タ」からのお知らせです。

 

 先日、契約期間中なのですがこのブログのカスタムドメインに不具合が生じたようで、アクセス不能な状態に陥っておりました。

 復旧の見込みがなく、システムの不具合を解明する能力も私にはないので、このBloggerに初めから備わっている別のドメインに恒久的に切り替えることにしました。

 タイトルのところのコメントにも注をつけましたが、URLの変更は以下の通りです。

 

 旧URL http://www.horrornomikata.com

 新URL https://horrornomikata.blogspot.com

 

 新URLが浸透するまで旧URLの検索結果が出てきますので、元々目立たないこのブログも、以前の実績がカモフラージュとなってますます目につきにくくなりました。

 転送も一応試みたのですが、調べ方がまずいのか、カスタムドメインから元に戻すという方向でのBlogger内の変更についてお手軽な方法がなかなか見つかりません。

 

 実は旧URLの17000PVのうち2200以上は「ディアボリカル」の記事がフィーバーして稼いだものなのですが、また何かそういう類のカルト映画の記事で大当たりがあればアクセスしやすくなるかもしれません。(これは狙って出るものではありませんが。)

 余談ですがジャン=ピエール・メルヴィル監督のフィルム・ノワールで、私の大好きな作品の一つに『賭博師ボブ』(1955)というのがあります。放蕩無頼な生き方ですが、彼のようにつきまったらどんなにいいだろうかと、見た直後には強く思いました。

 

*2017年2月12日追記。

 みなさんのおかげで「horrornomikata」あるいは「ホラーのミ・カ・タ」だけでも検索結果の上位にこのブログの記事が出るようになりました。本当にどうもありがとうございました。

 

* * *

 

 というわけで話は急に変わりますが、今回はちょっとほっこりした天使的なエピソードのご紹介です。

 

 

 先日、某牛丼屋さんのカウンターで食事をしていたときに、突然こんなせりふが耳に飛び込んできました。

 

 「きょうだいがいてほんとに良かった。だっておもちゃが交換できるもん」

 

 けっこう大きな声だったので、「おや?」と思ってそちらの方を見ると小学校3、4年生くらいと思しき女の子が二人並んでカウンターに座っていました。

 子どもだけで夜に牛丼は珍しいなと思ったら、テーブル席に親御さんがいたようで、そちらには母親らしき方ともっと小さな男の子が座っていました。

 

 ずいぶん利用しているわりにはおもちゃのつくセットがあるなんて気がつかなかったので少し驚いたのと、自分にも兄弟がいるので先ほどのせりふには何となくじんわりとするものがありました。

 そりゃおもちゃが交換できるんだから「きょうだい」はいた方がいいよなあ、と自分は兄弟とおもちゃを交換したことなどないのに一人で納得しておりました。

 

 そして食事をしていたら突然、

「ねえ、○○くんもお姉ちゃんたちといっしょに座りたいんだって。並んであげて」

という声がまた耳に飛び込んできました。

 もちろん聞こうと思っていたわけではなく、こちらも声量が少しあったのでお店のどこにいても聞こえたはずです。

 

 よそのおうちのことなので見るまいとはしているのですが、せりふは否応なく耳に入ってきます。

 

 お姉ちゃん(?)の一人が、

「仕方がないなあ」

と言いながらガタガタと席を移動する音が聞こえます。

 

 なぜお子さんの言葉というのは時にせりふのように聞こえるのか不思議なのですが、まるで台本を読んでいるかのようです。

 

 

 そのうちに私は食べ終わったので出て行こうとしたのですが、立ち上がったときにちょうど私の真向かいに○○くんが座っていることに気づきました。

 コの字型のカウンター越しですから、私が立ち上がると真向かいになって、コートを着たりマフラーをしたりするときに、見るともなく自然と前方に視線が行ったのです。

 

 ○○くんは小ぶりな牛丼を前にして虚空を見つめ、恍惚とした表情をしていました。

 

* * *

 

 ここからはなぜ彼が恍惚とした表情をしていたかについての私の勝手な推測です。

 あまりにもいい表情をしていたので、何がそんなに嬉しかったのかと考えているうちに思わず物語を拵えてしまったということです。

 

 おそらく状況から、「お姉ちゃんたち」はもう大きいので、子どもたちだけでカウンターに座って、自分で選び、自分で店員さんを呼び、自分で注文をしていたのでしょう。

 冒頭のせりふはそこで発せられたもののようですが、聞くともなく聞こえた情報だけで言えば、注文をするときの声などには「うまく注文できるかな」という緊張感が少しはあったのかもしれません。

 

 一方、弟(?)くんの彼はまだ小さいので、お母さんとテーブル席に座って、お母さんに注文してもらっていたのでしょう。

 おそらく彼にとって「カウンター」は「大人の居場所」で、何でも自分でできる人だけが座れる特権的な位置を占めていたのだと思われます。

 

 そのため段差があってちょっと高くなっているカウンターを見上げたとき、彼にはそこがキラキラして見えたに違いありません。

 バベルの塔を想起せずとも「高さ」にはほとんどいつでも象徴的な意味がありますし、小さなお子さんの目線からだと実際それなりに高く見えることでしょう。

 

 

 自宅に向って歩きながら、もしかしたら彼は生まれて初めて自覚的に「大人気分」を味わったのだろうか、そのことがあれほど恍惚とした表情を生み出したのだろうか、と私はそんなことを考えていました。

 彼がどのような意思表示をしたのかわかりませんが、母親にその意向を伝えて実行したわけですからそれなりに達成感がありそうです。

 

 10年もすれば大学に入るだろうしそのときに一人暮らしをすれば飽きるほど食べることになりそうなのですが、牛丼屋さんのカウンターに上がるというだけの行為が時にそのような感動を生み出す場所になり得るというのが、勝手な想像でまったくの誤解かもしれませんが私にとってはかなり新鮮だったので印象に残ったのだと思います。

 

 

 この記事に特別なオチはありませんが、大人ぶってせりふのような言葉遣いをする「お姉ちゃん」と、大人っぽさに憧れて恍惚とするような「弟」がいて、「きょうだい」っていいもんなんだなあとあらためて思った次第です。

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