2017年2月14日

映画通信簿№29:『傷だらけの悪魔』

・山岸聖太『傷だらけの悪魔』

 (2017年、日本)★③

 

 一人の犠牲でみんながまとまる教室内の集団力学。

 地獄と化した無寛容地帯で生き残る術はいったい誰から学べば良いのか。

 

 今回紹介するのは、山岸聖太監督作品『傷だらけの悪魔』です。 

 ほぼ全国一斉公開のようですので、現在でも上映中のところが多いかと思います。

 ところで今日は特別なただの日ですが記事の内容とはなんの関係もありませんよ。

 

 題材から見ると、プロモーション的にはもしかしたらティーン向けの学園ものなのかもしれませんが、虐待の復讐譚というのは海外のホラー作品にもたくさんありますので、今回も簡単なシネマガイドから入ります。(公式サイトはこちら。http://kizuaku.jp/

 

 

 というわけで例によって最初に映画じゅずつなぎを思いつくままに書いてみますが、それにしても虐待された女性のリベンジ映画というのは本当にたくさんあります。

 

 学園ものでいじめの復讐譚と言って、おそらくかなり多くの方が真っ先に思いつくのがあの『キャリー』でしょう。

 旧い方のブライアン・デ・パルマ監督作品が1976年公開で主演はシシー・スペイセクです。それに対して、新しい方のキンバリー・ピアース監督作品が2013年公開で主演は我らがクロエ・グレース・モーリッツです。

 『悪魔の棲む家』(2005)、『早熟のアイオワ』(2008)を経て『モールス』(2010)、『キリング・フィールズ 失踪地帯』(2011)と続き、そしてこの『キャリー』ですから、「ホラーのミ・カ・タ」的にはぜひとも「我らが」と言いたくなるだけなので気にしないでください。

 

 『キャリー』については映画通信簿№23:『アンフレンデッド』の記事でも触れたことがあるので、よろしければ参考にしてみてください。こちらも学園ものでいじめられた女生徒の復讐譚になっていますが、これは仕返しをするのがなんと言っても死者ですから、このオカルトなテイストが今回の『傷だらけの悪魔』とはまったく異なります。

(記事はこちら。https://horrornomikata.blogspot.jp/2016/08/23.html

 

 興味深いことに、『キャリー』と『アンフレンデッド』はオカルトなテイストだけでなく、最終的なカタストロフについても共通点がありそうです。

 ところで先の記事でもお岩さんについて言及しましたが、実は現在「四谷怪談」本を執筆しているせいか、この手の映画はもう何もかもが「四谷怪談」に見えてしまう今日この頃です。(「ゴースト・ライター」ならぬ「ホーンテッド・ライター」のような?)

 

 

 また、ジャンル・ホラーのサイドから直球を投げるとしたら、『発情アニマル』や『悪魔のえじき』など邦題がいくつかあるメイル・ザルチ監督作品『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』(1978)はその方面の代表作でしょう。2010年にリメイクもされております。

 この流れで遡るなら、ウェス・クレイヴン『鮮血の美学』(1972)と、その原案であるとされるイングマール・ベルイマン『処女の泉』(1960)にも触れておくべきでしょうか。

 前二作はいわゆるジャンル・ホラー映画でいいと思うのですが、『処女の泉』は「神の沈黙」をテーマに含むキリスト教的な色彩の強い悲劇的な作品になっています。

 どちらにせよとにかくひどい凌辱の場面が連続しますので、気分が悪くなりそうな方は遠ざけておいた方が無難かもしれません。

 

 さらに、リベンジという要素は薄れるかもしれませんがこのジャンルでホラー映画史に確かな足跡を残したとされるのは、ダリオ・アルジェント監督の一連の「美少女虐待サディスティックホラー」(三部作とも言われる)でしょう。

 『サスペリア』(1977)、『フェノミナ』(1985)、『トラウマ 鮮血の叫び』(1993)は上記してきた作品群と比べると、「悪夢的」と言うべきか幻想的なタッチになっているようです。

 

 

 もう少し社会派と言える部類では、ラモント・ジョンソン監督作品『リップスティック』(1976)を挙げるべきかもしれません。

 女性への強姦が当時アメリカで社会問題化していたことを背景に、ある事件とその裁判の模様を描いた作品ですが、これは実話がベースになっているとのことです。

 ところで、青山真治監督の『東京公園』(2011)で、ホラー映画好きを演じる榮倉奈々さんが身の危険を察知したとき、相手に向って「『リップスティック』って知ってる?」といったような印象的なせりふを言いますね。

 

 学園もので女性の復讐をテーマにしているというところから、リベンジするのは生徒ではなく先生ですが、中島哲也監督作品『告白』を想起する方もいるでしょうか。

 この『告白』が提示した映画文体の影響力というのはたいへん大きかったのだなとその後何回か思ったことがありますが、個人的にはみんなで踊るシーンにとても弱いので、あれを予告編で見たとき「これはいい!」としばらく釘づけになりました。

 

 

 他にも広義の女性による復讐ものとして、近作ではデヴィッド・フィンチャー監督作品『ゴーン・ガール』(2014)というのもありましたね。

 ちなみに以前このブログのどこかに書きましたが、私は『ゴーンガール』は正真正銘のホラー映画だろうと考えております。

 

 前置きが長くなっておりますが、とりあえずじゅずつなぎはこの辺で終わりにします。

 

*以下ネタバレする箇所があります。見る予定のある方はお気をつけください。

 

 さて、ここからは『傷だらけの悪魔』の話に移りたいのですが、まずはいつものように取っ掛かりとして公式サイトから「ストーリー」を引用してみます。

 

親の都合で田舎の高校に転向してきた葛西舞。

ダッサいクラスメイトとどこまでも続く田園風景にうんざりしながらも、

そこそこ楽しんでいこうと決めた舞の前に現れたのは、中学時代に同級生だった小田切詩乃。

舞は詩乃のことを覚えていないものの、舞のグループから酷いイジメに遭っていた詩乃は復讐を決意。

詩乃の策略によって逆にイジメの標的とされた舞のスクールライフは、地獄の日々と化していく。

でもいつまでも泣いてるわけにはいかない。孤立無援の中、ついに反撃を開始する舞だったが……。

 

 原作はcomicoというサイトで発表されているマンガだそうです。専用アプリがなくても10話まではPCで読むことができました。

(原作はこちら。http://www.comico.jp/articleList.nhn?titleNo=1300

 

 

 この記事の前半でいくつか作品を列挙しましたように、女性のリベンジ映画とは言えいくつかのサブ・カテゴリーに細分化できるようです。もちろんだからと言って、例えば「学園恋愛」、「オカルト」、「スプラッタ」、「ファンタジー」、「社会派」のどれにいったい当てはまるのかといった行き方はここではあまり意味をなさないでしょう。

 やはりこのブログとしては、『傷だらけの悪魔』がいじめをテーマにしたホラー作品であるとするならば、どのような人を観客と想定してどうやって怖がらせようとしているかを問題にしたいと思うのですが、果たしてこの作品は「ホラー」なのでしょうか。

 

 

 この文章を書きながら、私は今『ムカデ人間』シリーズのことを想起しています。

 このブログでも映画通信簿№4で取り上げたことがありますが、この作品はシリーズを通してホラーの質を毎回変えたところに妙味があったのではないかと思うようになりました。(記事はこちら。https://horrornomikata.blogspot.jp/2015/09/43.html

 

 というわけで、以下は私のちょっとした思いつきです。

 チェックしておりませんが、どこかで誰かが同じことを言っているかもしれません。

 

①第一作目は「思想」のホラーで、「3人の人間の肛門と口をつなげれば1人分の食事で済むからエコになる」という発想がそもそも何よりもおぞましく、それを信奉して実践する医師による実験室のなかのマッドなサイエンス・ホラーであったように見えます。

 

②第二作目は「映像」のホラーで、「ムカデ人間1」の思想に影響を受けた一般人が、「駐車場から被害者を無理やり拉致して監禁し不衛生なガレージの中で工具を使って暴力的に12人をつなぐ」という、今のところ21世紀最高のスプラッタ・ホラーであるように見えます。

 

③第三作目は「言葉」のホラーで、「ムカデ人間1・2」の映像に影響を受けた刑務所の職員が所長と結託して、「500人の囚人をつないだら監視員も必要ないし食費も部屋も大幅に節約できてエコになるし壮観だ」という発想で、狂気の独裁者と化した所長が目に映るありとあらゆるものに罵詈雑言を浴びせかけながらそれを実現する、これまた前代未聞のあまりにもどす黒いコメディ・ホラーであったように見えます。

 

 つまり、私の読みでは「ムカデ人間」シリーズは毎回完全にホラーの質を変えて演出されておりしかも一段ずつ抽象化を高めることによって、観客に「見た目」のインパクトを狙う衝撃的なおぞましさからつながれたムカデが笑えるという観客の「知性」を抉るおぞましさへと映像の焦点をシフトしていったのではないかと考えられます。

 

 

 それではまとめとして、このことを踏まえて『傷だらけの悪魔』のホラーの質について考えてみましょう。

 

 まず①について、過去のいじめを暴露されたことでいじめを受けることになった女子生徒が自分の才覚とSNSの機能を駆使してクラスメイトを操作して首謀者たちを孤立させ自力でなんとか生活の質を改善しようとするという点には、特に「思想」のホラーと言うべきところはなさそうです。

 

 次に②について、例えばいじめの小道具として原作のマンガでは便器であったものが映画ではバケツになっているなど、「映像」のホラーに関してはむしろ映像の強度を和らげようとする傾向が見受けられます。(見間違いであれば申し訳ありません。)

 もちろん私はここで、便器の実物を使って原作のいじめを再現するべきだと言いたいわけではありません。たとえ本物の便器を使わなくても、役者が直接それに触れなくても、そのようにいじめを行っているように見せる映像はいくらでも撮影可能なのですから、便器ではなくバケツにすることで原作の設定を改変してまで映像は何を得て何を失ったのかを問題にしてみたいと思っているだけなのです。

 そしてもしこれが映し出されたいじめの「ひどさ」を軽減するための工夫なのだとすると、作品の存在理由は自己矛盾に陥ると思うのですがこれについては後述します。

 

 最後に③について、これがおそらく『傷だらけの悪魔』の眼目になりそうなのですが、①と②の要素がかなり控え目になったのに比べると、ほんの少しだけ「ホラー」と言えそうな方向に力点が置かれているように私には見えました。

 ただそこに無意味などす黒さなどは皆無であり、いじめを受けた女子生徒がLine上では友達に平気で書いているような本音の一部を、実際に声に出して公然と叫ぶことで自分のポジションを社会化しようとしているので、人間としての尊厳を教室における権利として要求するという点で、マイノリティの解放運動に似た所作になっています。これはつまり、かつて「悪魔」だった主人公はそのことによって被っている不当な差別から解放されるべきだという人権要求をクラスメイトにしているのであって、いわゆる「ヘイト・スピーチ」のようなものとはまったく異なるということです。

 

 以上のような結果を総合して、教室における集団行動としてのいじめという行為自体がどんなに理不尽なものであっても、その理不尽さを理不尽なまま描き出そうとしないという条件を呑み込むことによってこの作品は「ホラー」となることから潔く身を引き、むしろ政治的な正しさをもって教育的であることを望んだのだと言えそうです。

 

 

 誤解なきように申し添えておきたいのですが、ここまで書いてきたことは作品としての出来の「良し悪し」とはまったく関わりがありません。

 私が「ホラーのミ・カ・タ」として知りたいことはただ一つ、いじめをテーマに設定しておきながらそれをホラーにしないことの理由はいったい何なのか、という疑問に対する論理的な解答だけです。もっとくだけた言い方ならば、そこでいじめにある「ひどさ」をあえて手加減して描写することでいったい誰が得をするのかということだけなのです。

 

 おそらくこの映画を見に行く人のなかには現役の高校生や中学生もいて、そのなかにはもしかしたら映画よりももっとひどいいじめを目の前で見聞きしたり、あるいは実際にそうした被害にあっている人もいるのかもしれません。

 私の考える「ホラー映画」の存在理由には、観客をひどい目にあわせることも定義のなかに含まれるわけですが、それは映画のなかの「ひどさ」がどんなにひどいものであっても映画館の外の「ひどさ」を凌駕することはほぼないのだし、正当な根拠がある限りホラー映画はどんなにひどくても構わないはずだという意見に立脚しています。

 

 つまり、例えば『ムカデ人間3』を見た誰もが「こんな世界は地獄だ」と思うほど作品がディスガスティングであることが、実は何よりも重要だということです。

 絶対にこんな世界で生きていくのは嫌だと本気で思わせるような映画体験は何よりも現実のものですし、しかもトム・シックス監督は親切にもこの作品が現実そのものの戯画であることをあからさまに指示してくれてもいるわけですから、逆説的ですが本当にぞっとするのは実際にはむしろ映画館を出た後からだということになるでしょう。

 「ホラー・マニフェスト」で紹介した高橋敏夫先生の卓抜な表現に倣えば、「良識」で抑えられた範囲での教育的配慮よりもむしろ、誰もが目を背けたくなるような激越な「嫌悪のレッスン」であることこそが、ホラー作品を受容することの意味という点でより重大な社会的機能と役割を担っているのではないかということです。ちなみに園子温監督作品に、『地獄でなぜ悪い』(2013)という素敵なタイトルのものがありましたね。

 

 

 またもや長くなり過ぎているのでそろそろ締めに入りたいのですが、みなさんご存じのように学校の教室というのは基本的に「ゼロ・トレランス」で、生徒たちだけの見えないルールが厳格に全員に適用されて動く集団力学の場であると考えられます。

 

 私の学生時代はSNSなどありませんでしたから、今ほどみんなの空気が読みにくいということはなく、リーダーがいてボスがいてフィクサーがいて、それぞれの役割分担がなんとなく明示的に決まっていたように記憶しています。

 残念ながら今日の現場と無縁であるため、SNSの普及によって中学や高校の学生生活がどのように変容したかをここで具体的に記述することは私にはできません。

 

 ただ、『傷だらけの悪魔』を見て思うことは、いじめとは無関係な私のような人間が見てさえひどいと思うような作品であったならば、先述した『リップスティック』がそうであったように、深刻な社会問題について物議を醸すきっかけになったでしょうし、もしそうしたくないとしたらそもそもいじめをテーマにした理由は何だったのかという点で、映画作品そのものの存在理由が危ぶまれるような気がしています。 

 

 

 作品のテーマに内蔵するひどさを完全に把握しながらこの程度の描写で十分だろうという善意で表現を和らげてしまうことがあるとしたら、それは結果的にいじめをそれほど社会問題化しないための配慮になってしまうことでしょう。

 そうなってくると、想定されている観客というのは、それほど和らげられた描写を見てさえ「こんなにひどいいじめがあるのか」と眉を顰めてしまうような善良な人びとということになるはずなのですが、そもそもそうした感受性を持つ方がいじめというテーマを標榜した映画をわざわざ自分から見に来るということが実際どれくらいあるのだろうかというまた別の疑問が沸いてきます。(余計なお世話かもしれませんが。)

 

 最終的に、原作のマンガで描かれたいじめのひどさをリアルないじめのひどさとして実写化することに意義を見出すことなく和らげることで、むしろ悪質な行為はますます隠蔽され抑圧されていくだろうし、それでは元来の映画製作の目的からして本末転倒になるのではなかろうかというのがこの記事で私がもっとも指摘したかったことです。

 善意で悪意を駆逐してしまっては、作品のテーマとして取り上げられたいじめの本質がさらに見えにくくなってしまうような気がして上記したきたようなことを書きました。

 

 そうなると「いじめっ子」の立場で見てさえひどいと思うような映画体験を提供するのでなければ先ほどの目的を達成できないわけですが、いじめをテーマに設定することの意味を現代社会の「ホラー」として考えるというのはそういうことでしかありません。

 もちろん私はここで、いじめをテーマにしながら「ホラー」を選択しない作品の可能性を排除するつもりはまったくありません。そのような選択肢にどんな意味があるのかについて検討する余地を残したいと考えているだけなのです。

 一般論としていじめが良くないことは誰もが知っているとしても、本当の「良くなさ」を実感として心得ている人は相対的に数が少ないはずですから、いじめをテーマにする限り作品の存立基盤をそこに置かなければホラーにはならないのでしょう。

 

 

 『傷だらけの悪魔』のなかでも触れられている内容ですが、自分の悪意を自覚して「悪いこと」だと認識していじめをするというのはたいへんに困難なのかもしれません。

 文脈は違いますが、加害者の内面ということを考えると私はここでもやはり『アクト・オブ・キリング』(2012)を想起してしまいます。

(関連記事はこちら。https://horrornomikata.blogspot.jp/2015/12/12.html

 

 虐殺を仕掛けたリーダーの言い訳というのもまさに同型的な言説になっているように見えるのですが、「悪いこと」を自分から進んでするときというのは、いつでも相手にとって良かれと思って(「躾」とか「教育」とか)善意のつもりでやっているという言い訳が成り立つようです。それはつまり、自分(=みんな)の善意に従っているという前提に立つと悪行を為すことがいかにも容易になるからでしょう。

 個人的にものすごく気がかりなのは、この映画作品の製作に関わる善意が、全国にすでに実在してしまっているいじめの悪意をそのような形で隠蔽し抑圧することに寄与したりしないのだろうかということです。

 

 

 いじめの問題にはそれぞれのケースに個別的な事情があり、一つひとつそう簡単に解決策を見出すことは非常に困難であるようですが、いじめをテーマにしたホラー作品の存在理由を問題化するためにここまで辿り着くことが記事の目的だったので、今回はここでやっと終わりになります。

 

※この記事は「地獄」のテーマと『ムカデ人間3』への言及で以下の書評とゆるやかに連動しております。(書評はこちら。https://shimirubon.jp/reviews/1678770

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