2016年10月16日

報告№6:世界報道写真展2016

 先日、「世界報道写真展2016」(@東京都写真美術館)に行きました。

 

 私は写真の研究者ではありませんので専門的なことは何も言えませんが、個人的な印象として、映画通信簿№5で紹介したセバスチャン・サルガドの作品を想起させるイメージがあったり、ペドロ・コスタ監督作品ののワン・シーンかと思うようなイメージがあったりと、行く前には予想していなかった嬉しい発見がいくつかありました。

 

 ただ、それと同時に、こうした痛ましい報道写真を日本で私たちが見ることの意味については考えなければならない問題が多くあるだろうということも、見ながら繰り返し思っていました。

 

 そこで今回は、そのことに関連して、かつてブックガイドとして書いて発表されずお蔵入りになっていたエッセイがあったので、これを機にブログに掲載することにしました。

 

 ちなみに、「戦争の残虐性どこまで伝えるべきか」というAFP通信2016年10月15日付けの記事も見つけましたので、参考までに提示しておきます。(http://www.afpbb.com/articles/-/3104187

 

 

 読者のみなさんがこうしたことを考えるきっかけになればと思いますが、以下がそのエッセイになります。

 

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「ホラー」のイメージで他者の痛みはわかるのか

 

 今回は、「ホラー」のイメージに関する著作をいくつか紹介したいと思います。

 大事故、大災害、戦争、テロリズム。このような現場の決して愉快とは言えない惨状を目の当たりにさせる写真や映像を、私たちは新聞やテレビやインターネットを通じて毎日いくらでも好きなだけ見ることができます。

 こうしたさまざまなイメージに触れることで、私たちが本当に心痛を覚えることになるとすれば、そうしたものは戦争に参加することへの抑止効果を持つはずなのではないか、という問題提起をしたのは、アメリカの批評家スーザン・ソンタグです。彼女はこのことを指摘した『他者の苦痛へのまなざし』(以下①)という本のなかで、戦争反対という明確な意図を持ったビジュアル・ブックを何冊か紹介しています。(以下②③は私の手元にあって、現時点で容易に購入することができる英語版のものです。)

 

①スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(北條文緒訳)、みすず書房、2003年。

②Francisco Goya, THE DISASTERS OF WAR, Dover Publications, 1967(1863).

③Ernst Friedrich, WAR against WAR!, Spokesman, 2014(1924).

 

 ②は、スペインの画家フランシスコ・ゴヤの銅版画シリーズ「戦争の惨禍」をまとめて本にしたものです。ここでゴヤは、独自のキャプションをつけながらスペインに侵入したナポレオン軍の残虐行為を告発しています。③は、ドイツのジャーナリスト、エルンスト・フリードリッヒの資料写真集です。ここでフリードリッヒは、第一次世界大戦のドイツ軍の資料写真を収集し、戦争の悲惨さを訴えています。ソンタグも指摘していますが、このなかでも「戦争の顔」と名づけられたシリーズは特に衝撃的で、フリードリッヒはこれらの写真に独自のキャプションをつけながら、顔面に大けがを負った傷痍軍人たちの写真を紹介していきます。このコラムで興味を持った方にはぜひとも直接ご覧になって欲しいのですが、②も③もたいへんにショッキングなイメージを含むものであることをあらかじめご了承ください。

 

 先ほど言及したように、ソンタグが指摘したのは、こうした作品たちがその存在目的を実際に果たせているかどうかということをどうやって吟味すれば良いのかという問題です。今日において、戦争のイメージはさらに拡散し増殖する傾向にありますし、これらが伝えようとしていたはずのメッセージは瞬く間に看過され、いつしかただの「怖いもの見たさ」になっているのではないかという点についても、批判的に検討する必要があるでしょう。

 私の専門は宗教学で、「ホラー」を研究対象としてきましたので、そこで出会ったもののなかから、上記の文脈を深めていくのに役立ちそうな本をご紹介していきます。

 

④ジョルジュ・バタイユ『エロスの涙』(森本和夫訳)、ちくま学芸文庫、2001年。

⑤ジュリア・クリステヴァ『斬首の光景』(星埜守之/塚本昌則訳)、みすず書房、2005年。

 

 ④は、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユの最後の著作で、彼自身が自分の人生に多大な影響を与えたと言っているかの有名な「百刻みの刑」の写真が収録されたものです。ほかにも図版が多数収録されており、バタイユの思想に接近する入門書としても非常に手に取りやすいと思うのですが、やはりこの「百刻みの刑」のイメージは圧倒的な迫力です。訳書の複数出ている『エロティシズム』という本の冒頭で、バタイユは、「エロティシズムというのは、死の中にいたるまで生を誉め称えることだ」と書いていますが、このことをまさにそのままビジュアル化したようなこの写真は、彼の思想の根本に横たわる生と死のダイナミズムについて、教えてくれることが多いのではないでしょうか。

 

 ⑤は、フランスの批評家ジュリア・クリステヴァが、「斬首の光景」という同名の展覧会のカタログ用に書いたもので、そのためこれもやはり図版が多数掲載されており、彼女の本のなかでは比較的読みやすい方なのではないかと思われます。クリステヴァはそれ以前に、『ホラーの諸力』(邦題は『恐怖の権力』)という、文学における「ホラー」の理論書を書いており、これはその応用編として、絵画における「ホラー」を分析するという内容になっています。私のホラー研究は、この『ホラーの諸力』に負うところが非常に大きく、その流れでこの『斬首の光景』にも少なからぬ思い入れがあります。

 

 ④と⑤に共通するテーマとして、「ホラー」の要素であるところの「おぞましいもの」、「唾棄すべきもの」、「排除すべきもの」こそが宗教的な意味での聖性を帯びて再来するというダイナミズムを分析しようとしているところが非常に興味深い点です。現代社会特有の宗教性、あるいは「聖なるもの」とは何かというのは、私が専門とする宗教学の大きな問題関心の一つなのですが、上記した理論や思想のなかにも考えるヒントが数多くあるのではないかというのが私の立場です。

 さらにまた、④や⑤の本を参考にして、「ホラー」のイメージがそれを見る人に具体的に何を体験させようとしているのかを考えてみることは、上記した戦争のイメージと他者の痛みの問題についても、たいへん示唆的な手がかりを与えてくれそうです。

 

 最後にイメージの問題を離れて、そもそも他者の痛みはわかるのか、という問題についてもひと言だけ触れておきたいと思います。

 

⑥大森荘蔵『流れとよどみ ―哲学的断章―』産業図書、1981年。

 

 これは哲学者大森荘蔵のたいへん読みやすいエッセイ本です。このコラムに関わるのは、哲学で言うところの「他我問題」に言及した「ロボットが人間になるとき」という章なのですが、ここで彼は「ロボットの痛みが人間にわかるのか」、「ロボットは人間か」と読者に問いかけています。タイトルからして「わかる」、「人間になる」ということなのですが、その筋道がたいへんに興味深いだけでなく、本当に「人間らしい」温かい眼差しとは何かを考えさせてくれる透徹したものだ、と私は思っています。

 「他人のことなんて絶対にわからない」、「自分は自分」と考えている人には少しも納得がいかないと内容だと断言できますが、大森のロジックに乗ると、それははっきり言ってそもそも自分の痛みにさえ満足に気づいていないからだということになるので必見です。

 

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 雑記№10と同じくバタイユとクリステヴァがセットになっているとか、内容的にはこれまでこのブログに書いたことと重複している部分もあると思いますが、参考図書としてより深く調べていくために少しでもお役に立てば幸いです。

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