2016年10月13日

「天使的な、あまりに天使的な」№5

 街で耳にしたちょっと気になるフレーズをゆるく紹介しているのですが、この企画のもともとの趣旨については一回目をご覧ください。

 

* * *

 

 先日、出張で東京に行ったときに電車のなかでこんなフレーズを耳にしました。

 

「それに最後のラストだし…」

 

 これはいわゆる冗語法のようですが、あまりにも自然に発音されたためにこのときは気持ちのこもったたいへん素晴らしい響きだなと思いました。

 

 ちなみに手元にある広辞苑(第五版)に「冗語法」は次のように紹介されています。(以下は引用です)

 

じょうご-ほう【冗語法】

(ploeonasm)論理的には不必要な語を付加的に用いる表現。強調その他修辞的効果のため故意に用いる。

 

 つまりレトリックの一種で話し手が強調したいときに使用するということのようです。

 

 おそらく上の例では、「もう後がないんだ」という気持ちを強調する目的でレトリックとして使ったとしたら、それは会話のテクニックだということです。

 

 

 PCでワープロソフトを使っていて、「まず初めに」とか書いてしまうと即座に色つきの波線でアンダーラインをビッと引かれて「間違ってますよ」と指示されることがありますが、レトリックとして使う分にはそれなりの正当性があるということになります。

 もちろん読み手に与える印象がネガティヴなものになってしまうとしたら、避けた方が無難でしょうけど。

 

 「初めて見たときの第一印象は、…なんて美しくてキレイな人なんだと思いました。」

 これなら冗語的でもわりと自然に響くような気がしますがいかがでしょう?もしもこれをしどろもどろに言ったりなんかしたら、一目惚れだなとすぐにわかりますよね。

 

* * *

 

 というわけで、ちょっとだけ冗語過多の文体練習をしてみましょう。

 

 

 私と同じ同世代の人ならば、おそらく必ず絶対いっしょに共感してもらえそうな冗語法のキラー・フレーズをここで以下に引用して紹介します。

 

「しずかちゃんの危険が危ない!」

 

 これは、もちろん言うまでもなくあの『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』(1988)に出てくるよく知られた名せりふです。(間違えて誤解しているのかもしれませんが、私の覚えている記憶のなかでは上記した通りこのようになっています。)

 そしてこれは物語的にも本当にたいへん大事で重要な場面で、ドラえもんがのび太と、しずかちゃんの「危険が危ない」ことに意識的に気がついてそこからいきなり急激に切迫した緊迫感が上昇して増大していくところです。

 

 

 …実際上手に冗語過多にするのはかなり難しいとわかったので、ここで止めます。

 

 

 記憶が定かではありませんが、小学生でこのせりふを聞いたときは特に冗語であるかどうかなど知る由もなく、「あ、危険なんだ!」としか思わなかったはずです。

 むしろ、ドラえもんが素でこうした言い方になるくらい鬼気迫る状況であると考えた方が楽しめそうですが、いかがなものでしょう。

 

* * *

 

 ところで、「最後のラスト」が天使的に響くのは、やっぱり英語混じりでリズムがいいからじゃないかと私は思います。

 

 でも、あんまり頑張るといわゆるルー語に近づいていきます。

「金曜夜のフライディナイはいっしょにトゥゲザ踊ってダァンスィン、夜明けのドゥオーンになるまではレッツ・フィーヴァ盛り上がっていこうぜ。」

 もしこんな広告が貼ってあったら、バブルの面影を忘れられないディスコなのかなとやや切ない気分になりそうです。まぁ、あるはずないでしょうけど。

 こちらもやはり上手にフレーズを作るのはとっても難しい。

 

 

 また同世代人向けの懐かしネタですが、あの『ごっつええ感じ』に「エキセントリック少年ボーイ」というコーナーがありましたね。「犬ドッグ」、「鳥バード」はともかく「エテモンキー」は今聞いてもすごい。

 

 思い出しついでに言うと、かつてぐっさんがDonDokoDonだったときのある漫才で、

 

「あなた、ご飯にする食事にするそれともめし?」 

 

 という一度聞いたら忘れられない天才的なフレーズを言っていました。

 ここまでくると冗語も完全な芸です。いやぁ、素晴らしい。

 

 

 ところで、錯誤ということを考えると、日本語話者にとって「ミーニングの意味って何?」と聞いても普通なのに「意味のミーニングって何?」と聞くとやや不自然に響くのはなぜかと言えば、まさしく「ミーニングの意味」を知らないと言えないはずのせりふになっているからですよね。

 もちろん日本語を母語としない人が「意味」という単語の"意味"を英語混じりの日本語で尋ねるというシチュエーションであれば、完全なフレーズになるので文脈によっては不自然ではなくなるはずなのですが、それを日本語で聞いているところから違和感が生じるということなのでしょう。

 

 それにしてもこうした違和感によって、前提にしている共通言語にどれだけ無意識的に頼り切っているかに気づかされるのは興味深い気がします。

 実際のところ、私たちは「意味」の"意味"のところでしか常に会話をしていないということなんでしょうか。

 

 そう言えば違和感ついでに、『シン・ゴジラ』で英語混じりの喋り方をする登場人物がいましたね。

 個人的にはそこよりも、「神の化身」であるはずのものが、人間の科学の力によって(当然のごとく?)調伏されてしまうことの方に強烈な違和感を覚えしまったのですが、それはまた別の話。

 

 

 例のごとく取りとめのないまま終わってしまいますが、こういった文例収集がお好きなフレーズマニアの方は、「冗語」ではなく「重言」で検索するとたくさん出てくるはずですので、ぜひお楽しみになってください。

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