2016年8月9日

報告№5:アイズピリとワイエス

 映画とは関係のない記事が続きますが、夏休みのオススメとして今回は二つの展覧会を紹介したいと思います。(以下の記述は純粋に個人的な意見です。)

 

 ただ、開催しているのが名古屋市と豊橋市の美術館なので、今回は見に行けないという人も大勢いるとは思うのですが、お盆等で愛知県に来る予定のある方はよかったらチェックしてみてください。

 

①「パリの巨匠アイズピリ 描き続けた80年」

 (ヤマザキマザック美術館、~2016年8月28日まで、http://www.mazak-art.com/)

 

②「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス 水彩・素描展」

 (豊橋市美術博物館、~2016年8月21日まで、http://www.toyohashi-bihaku.jp/)

 

* * *

 

 ところで、私は絵画や美術史の専門家ではありませんので、アイズピリやワイエスの作品について、学問的なことはなにも言えません。

 この二つの企画展もたまたま今年同時期に近隣で開催していたというだけで、両者をことさら比較しようという意図で並べたわけでもありません。

 ただどちらも日本でたいへんに人気があるということですし、ワイエス(1917~2009)とアイズピリ(1919~2016)は、アメリカとフランスという地域の違いはあるとしてもほぼ同じ時代を生き抜いた画家だと言えそうです。

 

 ワイエスに関しては、私は2012年にも宮城県美術館で「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」を見に行っておりますので、ワイエスの「オルソン・ハウス」シリーズの展覧会を見るのはこれで二度目ということになります。

 

 ポール・アイズピリについては、恥ずかしながら今回の展覧会の告知を見て初めてその名前を知りました。

 こちらはポスターになっている作品を見た瞬間に、ぜひとも現物を見たいという衝動がかき立てられるようになり、夏休みが始まる前からいつ行こういつ行こうとそわそわしていたという次第です。

 

 ワイエスのあまりにも緻密で時に寂寥感漂うと言われるような画風とはかなり異なっておりますが、アイズピリのたいへんにポップに見える上に多幸感溢れるタッチも私にとっては非常に魅力的でした。

 

 どちらの作品にせよ実際にそれだけではないところに深みと魅力があるわけですが、なかにはインターネット上でご覧になれるものもあると思いますので、興味のある方はいろいろと検索してみてください。

 そしてワイエスに度肝を抜かれ、アイズピリに陶然としてしまったら、ぜひ現物を見に美術館に足を運んで見てはいかがでしょうか。

 

* * *

 

 絵画に関しては本当に無知なので、以下の記述はちょっとした思いつきの羅列になってしまうかもしれませんが、作家の人生を辿るような大回顧展を実際にこの目で見た限りで言うと、シャイム・スーティンの作品は紛うことなく「ホラー」だなと思いますし、ジョルジュ・ルオーの作品は「聖なるもの」に近づいていくのだなと実感しました。

 それはなぜかと聞かれても、絵画作品について通用するような形でホラーの理論を構築できておりませんので、まだ明確には答えられません。残念ながら現在のところ単なる印象に留まっていると言わざるを得ない状況です。

 

 

 ただ、こうした私自身の研究の文脈のなかからワイエスの作品展を見たときもっとも印象深かったのは、"The Revenant"(邦訳は「幽霊」)と名づけられた作品でした。

 実際に展示してあったのは習作(Study)が二作であり、それは完成品とはまた別の水彩画になるのですが、なぜ彼が"The Ghost"ではなく"The Revenant"と名づけたのかは非常に興味深いところです。

 

 ワイエス研究をきちんと調査すればあっさりと答えが出てくるのかもしれないので、そこのところについてコメントできないのがもどかしいところですが、フランス語由来の単語である後者は、ゲルマン語由来で古英語に原語のある前者とは異なり、19世紀初頭になって英語に入ってきた語彙であるという記述が、裏づけなしでネット上のOEDにあります。(http://www.oxforddictionaries.com/definition/english/revenant

 

 ワイエス家の別荘がメイン州にあることが、このフランス語由来の用語との親近性を示唆しているように見えなくもないですが、展覧会を見ただけの私にとって、このような事柄はまだ雲をも掴むような話です。(今回の主題となっている「オルソン・ハウス」もメイン州にあります。)

 

 "The Revenant"という作品名は、否応なく「絵画作品における存在とは何か」というある意味で哲学的な問いを突きつけてくるものがあると私には思われます。

 例えば「人がそこにいるのか」、「物がそこにあるのか」という問いは存分に開かれているので、画布に描かれているのだから「そこにいる/ある」はずはないと考えるのはきわめて拙速な行き方であるように見受けられます。

 それではもし「画布に描かれた存在としてそこにいる/ある」のだとすれば、私たちはそこで、あるいはそこから何を見ているのか。何に出くわしているというのか。

 

 

 個人的には「静物画」("Nature morte")というジャンルが好きなのですが、17世紀オランダから今回紹介したアイズピリまで含めて多種多様な作品が「静物画」の範疇に入るのだとすれば、そこに渦巻いている圧倒的な創造性と想像力に私は圧倒されてしまいます。

 それはまさしく「死んだ自然物としてそこに存在している」ことの意味を私たちに突きつけているように見えるからだと思われます。

 こうしたことは絵画作品に込められた作者からのメッセージとしての「寓意」とは切り離して考えたいところですし、「存在」はいわゆる写実性のようなものとどれほど関連性があるのか、ないのかという問題も考慮に入れる必要があるのでしょう。

 

 これもまた余談ですが、かつて宮城県美術館の「フェルメールからのラブレター展」に行ったとき、『手紙を読む青衣の女』が正真正銘の「幽霊画」にしか見えなくて文字通り驚愕した思い出があります。

 しかも、そのせいでかえって、今にも手紙からふと顔を上げてこちらに微笑みかけてくるんじゃないかという不気味な存在感を覚え慄然としたものです。

 この人はつまり、絵の中で死者として生き続けているのかもしれない、というそんな感覚です。(こうした認識に関してはロラン・バルトという人の『明るい部屋』という有名な写真論の影響があるかもしれません。)

 

 それにしても、鏡に映ったセルフ・ポートレートに"The Revenant"と名づけてしまうワイエスのセンスについては、これから手の届く範囲で調べてみたいところです。

 ちなみに、先ほど紹介したスーティンの自画像は"Grotesque"(「グロテスク」)というタイトルで、これは実物を見ると具合が悪くなることのあるショッキングな作品です。

 

 

 もちろん画家が作品につけるタイトルの意味については、どんなにデリケートに取り扱ってもやり過ぎにならないだろうということは門外漢でもわかります。

 たとえ無意味なタイトルをつけようとする作家がいたとしても、その無意味さのなかにはタイトルで絵画作品を意味づけようとしたくないという意図がきちんと垣間見えるわけですから、無意味にもしっかりと意味があるはずです。

 

 ルネ・マグリットはパイプの絵にわざわざ「これはパイプではない」と書き込むかなり有名なシリーズを残していますが、フランスの思想家であるミシェル・フーコーがそれについての詳細な分析をしているくらいですから、絵画と題名の関係は意外と一筋縄ではいかないようです。(これは一休さんに出てくる虎のとんち話を連想させます。)

 

 

 気の向くまま、まとまらずに話があちこち飛んでしまっていますが、とりあえずアイズピリとワイエス、今月のオススメです。

 (上映期間が短いので予告してしまいますが、次回はおそらく絶賛上映中!のSNSホラー『アンフレンデッド』について思うところを書きたいなと思っています。)

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